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元祖毒親本 スーザンフォワード「毒になる親」を読んで父と対決してみた

 近年、「毒親」という言葉が一般的になっており、毒親モノのエッセイ漫画や自己啓発本が多く発表されるようになった。そもそも「毒親」という言葉はアメリカのカウンセラーであるスーザン・フォワードの著書「毒になる親(原題:toxic parents)」に由来する。この本では親との関係に悩む患者たちとのカウンセリングを通して、毒親という概念、その対策、毒親に振り回されない生き方に至るまで事細かく説明されている。出版は1989年と30年近く前であり、2021年現在もカウンセリングを受けることや親を批判することがタブーとされる日本がいかに遅れているかと感じさせる。


◯人のせいにしてはいいのか

 近年のベストセラーになった本は「嫌われる勇気」「7つの習慣」「反応しない練習」など心理学的なアプローチに関するものが多い。マインドセットや瞑想も人気で、物質的な豊かさを追い求める時代から精神的豊かさや幸福を求める時代に変わってきているのを感じさせる。そういった本に書いてあることがすでにひととおり「毒になる親」にも書いてあった。つまり、怒りや悲しみといった自動的にわきあがる自分の感情を俯瞰的に見ることで冷静に相手に対処出来るということである。俯瞰することをメタ認知ともいう。相手を変えようとするのではなく、相手に振り回されないようにすることで自分の人生を生きよ、ということだ。アドラー心理学ではこれを「課題の分離」と呼んでいる。だが「毒になる親」がアドラー心理学と大きく違うのが、現在の苦しみを毒親による過去のトラウマによるものとしている点だ。アドラー心理学はトラウマの存在を否定し、苦しみの理由は自己にあるという。これが自己犠牲的な観念を持つ日本人の心に刺さったのだと思う。わたしも親に過去に親にされたことが苦しかったことを話せば、「人のせいにするな」「過去のことをいつまでも言うな」と言われる。しかし、本当に人のせいにしてはならないのだろうか。過去のことは現在の苦しみに何も関係していないのだろうか。「毒になる親」では以下のように述べている。(以下抜粋)

「自分の問題を他人のせいにしてはならない」というのはもちろん正しい。 大人としてのあなたの責任とは、現在自分が抱えている問題に対していますぐ建設的な対策を講じ、問題を解決する努力をすることなのである。


◯親と対決していいのか

 毒親との「対決」を勧めているのも本書の大きな特徴である。過去に親にされたこと、その時の気持ち、それが自分の人生に与えたこと、これからしてほしいこと、を親にはっきり伝えることによりのみ、過去のトラウマから解放され、心のなかに住んでいる傷ついた子供を癒し、苦しみや怒りを外に出すことが出来るという。これも和をもってよしとなす日本人には難しい話である。実際、本書でもこの「対決」をすれば親は怒ったり悲しんだりして親子関係が変わってしまうだろうと述べている。そして結果的に大事なのは親を変えられるかではなく、自分が親に対決出来たということだと言う。


◯親とどのように対決するか

 本書では他にも毒親が使いがちな言葉とそれに対する有能なワードが多く紹介されており、それをロールプレイングや架空の手紙書きで反復練習することで毒親と対決することが推奨されている。(以下抜粋)

「あぁ、そうなの」
「あなたがどういう意見を持とうと、もちろんあなたの自由ですよ」
「あなたが賛成してくれないのは残念ですが」
「それについてはもう少し考えさせてください」
「これについてはあなたがもう少し冷静なときに話し合いましょう」
「がっかりさせて申し訳ないけれど」
「あなたが傷ついたのは気の毒だけれど」
「あなたはもちろんそういう見方をするでしょうけれど」
「わたしのことをそうやってののしったりわめいたりしても、何も解決しませんよ」
「そういう決めつけは受け入れられません」
「あなたがそういうことを言うこと自体、こういう話し合いが必要だという証拠です」
「わたしに対してそういう言い方をするのはよくないことです」
「わたしの話を最後まで聞くと同意したでしょう」
「あなたが覚えていないからといって、この事実がなかったということではないのですよ」
「あなたは覚えていなくても、わたしは覚えています」
「そうやってわたしのせいにするのは勝手だけど、そんなことをしてもわたしが子供のときにあなたがしたことの責任を逃れられるわけではないのですよ」
「悲しい思いをさせて申し訳ないけれど、だからといってやめるわけにはいかないんです。わたしも長い間傷ついてきたんですから」
「あなたの怒りの原因について話し合うなら喜んで応じるが、わたしをそのようにののしったり侮辱するのはもう許さない」
「あなたがそんな風にしてわたしを困らせようとするのをやめる気になったら、わたしはいつでも話し合いに応じますよ」
「わたしはリスクをおかして自分の気持ちを正直に話したのです。あなたもそうしてみたらどうですか」
「あなたが手助けしようとしてくれるのはわかりますが、この問題はあなたには理解出来ないことなのです。だからいまあなたと特に話し合いたくありません」
「あなたは自分のよく知らないことに対して独断的な決めつけを行っています」


◯自分の親は毒親なのか

 わたしはこの本の中のことが本当によく当てはまっていて、読むのが苦しいくらいだった。わたしは父に対する行き場のない怒りをずっと抑えこんでいて、それはときどき噴火する火山のように外部からのプレッシャーが高まると爆発していた。何をしていても自分が不十分なように感じていた。父はけっして満足することはなかった。わたしがどれだけやっても不満なのだ。父はわたしが自分の望むようにならないことは全て悪いほうに解釈した。わたしが自分の思い通りにならないと、大声でわめいたりひどい言葉でののしった。わたしは何を達成したかという外面的なことによってのみ、自分の価値を証明しなければならなかった。父は不機嫌な顔をしたり、うるさく小言を言うことで家族をコントロールしていた。わたしの子供時代には、自分は愛され守ってもらっているという安心感はなく、いつも何かに追いかけられているような不安感から逃れられなかった。父は子供を叩きたいという自分の衝動をコントロールできず爆発させることがあり、その行動が子供の心にどのような結果をもたらすかということに無自覚だった。(日本では体罰が子供に必要と考える人が多いが体罰は一時的に押さえつける効果があるだけで子供の心に強い怒りや復讐心、自己嫌悪、大人に対する不信感を植えつけるだけだ。その怒りが自分の内面に向けられ、体の反応になって現れる。いつも体がだるい、抑うつ症状などがよくあるパターンである。)父は子供はどんなことでも親の言うことを聞くべきだ、親のやり方がぜったい正しい、子供は親に面倒をみてもらっているのだからいちいち言い分を聞いてやる必要はない、と考えていた。子供が怒りの感情を自由に表現することは許されず、その特権を持っていたのは父だけだった。謝るということが出来ず、そんなことをしたら面目を失うとか、軟弱さの証拠だとか、親の威厳がなくなると考えていた。(だが本来間違いをした時に謝ることが出来る人というのは人格者であり、そういう行動は勇気があることの証拠である。)


◯実際に対決してみた

 過去に親にされたこと、その時の気持ち、それが自分の人生に与えたこと、これからしてほしいことの4つを伝えるためにわたしはスライドを作成した。それが以下の画像である。
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 ここで自分の言葉で今まで父にされた過干渉やコントロール、大声で怒鳴られることがどんなに恐ろしいことか、現在のわたしの精神に負の影響を与えているか、わたしがわたしのことをするのにもう何の干渉もしてほしくないこと、言いたいことは怒鳴らないで静かに伝えてほしいことを説明すべきだった。しかし、わたしは恐怖で何も言えなかった。父はしばらく画像を見てから「それはお前が電話に出ないからだろ!」「お前が医学部に行けたのも誰のおかげだと思ってるんだ!」などと怒鳴りだした。そこで「わたしのためにしてくれたことには感謝している。だがそういうことがあったからといってあなたがわたしにいつもひどい言葉で傷つけたこと、わたしを侮辱したこと、過干渉とコントロールでわたしを苦しめたことを埋め合わせることにはならないんです」と冷静に返さなければならなかったのに、わたしはなんだか笑ってしまった。怒っている人を見て怖いのに笑ってしまったのだ。子供時代は父が怒鳴れば怖くて泣いていた。でも今目の前にいたのは、目の下が窪み口がへの字に曲がっている太った背の低い老人が、鬼のような形相をして訳のわからないことを大声でわめいている姿だった。人前で感情をあらわにして叫ぶなんて滑稽でみっともないとさえ思った。


毒親の親は毒親

 彼ら毒親の行動の根源には自分自身の人生に対する根深い不満と自分が見捨てられることへの不安があるという。自身も親から暴力を受けて育っているケースが多く、家庭では体罰が当たり前になっていた傾向にあるらしい。大人になってからの行動の多くは、自分が子供の頃に体験し学んだことの繰り返しである。自分の力では対処出来ない問題が起きたとき、あるいは自分が対処しきれない感情、特に怒りが生じたとき唯一取ることの出来る行動が暴力だったのである。子供の時から感情的に満たされず大きなフラストレーションを抱えたまま大人になっている。つまり彼らは情緒面では子供のまま成長してしまったのだ。負わされたものはその原因になった人間に返さない限り、次の人に渡してしまうという。でも、この家系の負の連鎖を断ち切れば後の世代をも救うことになる。わたしがそれになれたかはわからない。ただわたしはこれから自分の子供をもうけることはないし、兄はいい父親をしているようなので連鎖は止まったのだろう。そう、思いたいです。