沼に飛ぶ!!

日アサ中心にアニメが好き♡/20↑ https://twitter.com/jumptopond ツイッター https://pixiv.net/users/2877495 ピクシブ

【ネタバレあり】シン・エヴァンゲリオン劇場版:||感想

 シンエヴァ見てきました。平日昼にもかかわらず満席でした。序破Qの簡単な振り返りから始まります。前作映画のQから8年たっていろいろ忘れてたのでありがたかったです。新劇ではテレビシリーズと違ってダミープラグに入れられちゃうのがトウジじゃなくてアスカだったんですよね。それじゃあなんでアスカ生きてるんでしたっけ?やっぱり今までの記憶が曖昧です。物語としては、人類補完計画を目指すゲンドウ/冬月/ゼーレといったネルフとそれを止めようとするミサト/リツコ/アスカ/マリたちヴィレとの戦いが描かれます。シンジくんはアスカ、Qアヤナミと共にニアサードインパクト後の赤くなった日本を歩いて、トウジ、委員長、ケンスケの暮らす第3村にやってきました。ニアサードインパクトを生き残った人類が細々と暮らしているようです。シンジは中学生らしくまたウジウジしてますが、14年たてばみんな大人になっておりシンジの立ち直りを優しく待ってくれます。この村の描写が長くてエヴァじゃなくてジブリの映画を見に来てたんだっけかな?と思うくらいでした。アスカはケンスケと暮らしていたようですが、いつの間にそんなケンスケと仲良くなってた?ってくらい二人の距離は近かったです。その後、シンジは自分のやったことの落とし前をつけるためにヴィレに戻ります。そして、ヴィレとネルフは始まりの場所である南極大陸下の黒き月で戦艦戦争となります。ここでの鷺巣詞郎さんの音楽が素晴らしいです。ところで、ネルフの資金源はゼーレのようでしたがヴィレの方はどこから来てるんでしょう?謎です。ヴィレはゲンドウ側の罠にはまり、使徒化したアスカと13号機によるアディショナルインパクトが起きて、人類補完計画が始まります。そしてまた巨大綾波が登場し、大量の白い首なしマネキンが降ってきます。マネキンがすべて女性体だったのはなぜなのでしょう?エヴァのキーになるのがこの人類補完計画です。人類が個人の体を捨てて魂を融合させることで生命として新しいステージにいこうね、ということですね。みんな一緒の存在になれば、孤独も悲しみもなくなるということです。これを他人と上手く接することができなかった主人公が拒否することで「他人がいてもいいんじゃないの」という結論に至るのがエヴァです。旧劇では他人がいてもいいかなと思った矢先に気持ち悪い、と他人に拒絶されてしまったシンジくんですが、新劇では少し大人になり、父親であるゲンドウと向かいあうことが出来たことで人類補完計画を否定することになりました。ゲンドウのインナーチャイルドを知り、ゲンドウから謝罪を受けたことでシンジは父親から解放され、自分だけではなく他人のことを考えられる大人になったのです。このお約束の電車描写含めた精神世界での時間が長くて、隣の座席のお兄さんは寝てました。ミサトが艦長として犠牲になるところ、古代からの人類と神の歴史を示す石板はナディアを思い出させましたね。なんだかんだでシンジは第3村に戻るのではなく「やり直す」ことを選びます。それが表題にもついているダ・カーポなんでしょうけどそれもよくわからなかったです。月にもいっぱいカヲルくんの箱がありましたし、やっぱりループなんでしょうか?加持さんがカヲルを渚司令と呼んでいたのも謎だし、破の綾波が死んじゃってるのも謎だし、結局破とQの間の14年に何があったんだよ?という元の疑問に戻りました。ラストシーンはエヴァの呪いが解けて大人になったシンジたちが私たちが住んでいるような現代的な日本の駅から外に出ていくというものでした。第3村の様子からしてそんなに早く文明が進むわけないので、ラストシーンのシンジたちは第4の壁を超えて私たちのいる世界に来たともとらえられます。劇中劇的な描写といい、視聴者にお前もエヴァから卒業して大人になれよ、とでも言いたいのかなぁと思いました。結局、旧劇と変わらない結論だったのではないか、ということでシン・エヴァンゲリオン劇場版:||の感想を終わらせていただきます。メタ的な余談ですが、マリは庵野監督の奥様がモデルになっていること、アスカはシンジにとって前好きだった人、ということを考えるとエヴァ庵野監督による究極の自己投影作品だったのかもしれません。そうすると庵野監督のお父様がどんな方なのか気になります。宮崎駿御大が風立ちぬで自身を投影させた主人公の声優を庵野監督にさせたのも、実の息子とは出来ない親子ごっこをしてるみたいで気持ち悪いな、と思っていましたが、それに似たものを感じました。なんにせよエヴァは終わりました。全てのエヴァにとらわれていたみなさま、お疲れ様でした。