沼に飛ぶ!!

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父親に説教を受けるのが辛い

 老害のよくする嫌われ話といえば自慢話、昔話、そして説教です。それもコミュニケーションのきっかけになったり役に立ったりすることもあるのですが、会話の全てが説教につながっていったり、同じ説教を繰り返されたり、そもそも説教の内容が意味不明だったりするのはつらいです。ましてや怒鳴ったりするのは暴力と変わりません。説教とは相手の現状を否定するものであり、相手を傷つけるおそれがありますから慎重に話すべきです。しかし、本人はそれを説教だとも思っておらず、世直しのような気持ちでアドバイスしているだけのようです。このような人はたくさんいると思います。ここでは私の受けた意味不明な説教を列挙していきましょう。



○コミュニティに馴染めないのはお前が悪いという説教

 友人グループで集まろうとされていたイベントが、私を除いて開かれていたことをSNSを通じて知ったことがありました。ハブかれた、ということで女同士にありがちな特に意味もないようなことだと思います。それを私が金銭的に余裕があるのをひけらかしたからだ、と説教されました。否定すれば、無意識のうちに金銭的余裕をひけらかしたんだ、と言われました。無意識だと言われたら否定しようがなくなります。そもそも友人グループというのはお互いの経済的レベルをなんとなく察し、同じような人が集まるものではないでしょうか。お金があるとひけらかすのはよくないと思いますし、私はそんなことはしないです。仮に私の経済的事情が私がハブかれた原因になっていたとしても、それは私が悪かったのでしょうか。どうして被害者の方を責めるのでしょうか。受験生の時も無理やり入れられた塾で私が馴染めないことを話すと、お前に原因があるんじゃないかと言われました。私は授業中泣いていました。相談してきた人に原因を求めるようなことを言えば、相談されなくなっていくのは明らかなことです。それを相談する才能もあるんだ、などと偉そうに口上を垂れるのはおかしいです。あなたが相談される才能がないのです。


○なぜ病気が治らないのかという説教

 私が一番アトピーがひどかったのは大学生〜研修医のときでした。手首〜指にかけてが特にひどかったのですが、手首をつかまれ、なんで治らないんだ、と鬼のような形相で説教されたことがあります。私だって治りたいし病院にもいっていました。父親から離れてからアトピーはよくなりました。アトピーは保湿や抗原除去・ステロイド外用薬が重要ですが、ストレスによって悪くなることも多いので環境を変えることも大事だと思います。家族の病気が治らないということは今でも怒りの原因になるらしく、風邪を引いた私や私の母にまだ治らないのか、と鬼のような形相で言っています。


○漫画を読むなという説教

 私は学生時代に漫画を何十冊か持っていましたが、それを勝手に捨てられることがありました。自分の物を勝手にどこかに持っていかれるというのは大変なダメージでした。自分の部屋だろうと机の奥にしまおうとそれを汚い手で勝手に触る人が同じ家にいるのです。私のお小遣いで買おうと、それはそもそも父親の稼いだお金なので勝手にしてもよいという考えのようでした。私宛の郵便物も勝手に開けられていたし、私が真に所有しているものは家に存在していなかったのです。そんな家は安心できる家とはいえないです。そもそも漫画を読んでいるから勉強しないというのは筋違いもいいところです。おそらく携帯電話の方が時間を奪うアイテムだったと思います。


○このままで結婚しないでいると孤独になるという説教

 私は人に恋愛感情を持たれるというのがどうも気持ち悪いのでこのまま結婚できない確率は高いです。それをこのままでいると、私の友達もじきに結婚して私から離れていき将来を孤独に過ごすことになるとなどと恐ろしい顔をして言うのです。私の友達の何を知っているのでしょうか。どうしてそんな私のコンプレックスを的確につくようなことを平気で言えるのかわかりません。


○太っているという説教

 エビリファイという抗精神薬を飲んでいたとき私は太っていました。エビリファイは比較的太らない薬と言われているのですが、食欲を増進させる作用があります。それを太ったね、二重顎になってるよ、運動した方がいいよと言ったりできるような体型を自分はしているのでしょうか。お腹がでてるよ、とお腹を触られたこともありました。父親に急にお腹を触られるというのは発狂しそうなくらい気持ち悪かったです。


○体型に気をつけろという説教

 精神的症状が軽快してから食事がおいしくなったことを伝えたときにされた説教が、体型に気をつけろという説教です。私にとって食事ができなくなったというのは大変な苦痛であり、病状がよくなったことで食べられるようになったこと、食事の喜びを思い出したことはうれしいことでした。それを伝えた時に体型に気をつけろ、と言うのはあまりにも的外れな説教なのではないでしょうか。この人は私が食事ができなかったことにどれだけ苦しんでいたかまるで理解していないのです。


○そんな服・メイクでは男に選ばれないという説教

 私はフリルのついた服やファンシーな柄がついた服が好きです。それを否定する人がいるのは仕方ないと思いますが、どうして否定する理由がそんな格好では男の人に選ばれないから、なのでしょうか。私は好きな服を着ているだけだし、ファッションは自分のためのものだと思ってます。もちろん男性と出かけるという時はその時にあった服装をしますが、普段は自分の好きな服装をします。そもそも女が外見にこだわるのを男のためだと思っている思考が気持ち悪いです。


○患者に優しくしろという説教

 なぜか父親に患者さんに優しくしろと何度も言われていました。医師としての私の何を知っていてそんな事を言っているのでしょうか。優しくしろという説教を受ける私は患者さんに優しくできていないのでしょうか。確かに、患者さんはメンタル的に病んでいる人は多く、患者さんに優しく接しないといけないのはわかります。身体的症状があるから精神的に病むのか、精神的に病んでいるから身体的症状があるのか、それは難しいところです。しかし、患者さんの雰囲気からこの人は精神的に病んでいるだけだと考え、適当な診療をすると重大な疾患を見逃すことがあります。結局どんな患者さんも診察の手は抜けないし、診察室を出るとき少しでもいい気持ちになって帰ってほしいと思っています。そうした私の日々の診療の努力は一体何なのでしょうか。


○最新の情報を知るために学会にいけという説教

 学会主催のセミナーに参加したと報告すれば最新の情報を知るために学会に行けというお説教をもらいました。今、セミナーに行ってきた人にどうしてそんな事をいうのでしょう。そんな説教をするということは私が勉強不足にみえるということなのでしょうか。そもそも学会にいって最新の情報を手に入れるという発想がおかしいです。最新の情報というのは雑誌もしくはインターネットで得るものです。学会は交流の場という面が大きいです。ドラマのように学会で新たな発表がされて観衆がおーっ!と言ってスタンディングオベーションするという場面があると想像しているのでしょうか。


○医者だからといって偉そうにするなという説教

 先生センセイと言われて医者はいい気になっているというのが父親の主張です。それも古いです。そんな風に敬ってくれるのは製薬会社のMRさんだけです。患者の権利意識が強くなった今の世相でそんな丁重に扱われるということはほとんどないです。もちろん多くの患者さんや病院職員は私に丁寧に接してくださいますが、その裏には患者の命をあずかったつもりできちんとやれという期待があるのです。それを果たさないといけないのは大変なことです。それとも私はそんなに偉そうにみえるのでしょうか。医師としての私の何を知っているのでしょうか。偉そうにしているのはあなたではないでしょうか。


○精神科を変えろという説教

 私が精神的に落ちこんでいると精神科を変えろといわれました。精神科を変えるというのは他の科を変えるのとは違う大きなエネルギーを必要とします。精神科の初診ではそれまでの人生を話さないといけないからです。それは精神的苦痛を伴うこともあります。また、よい精神科医かというのは患者との相性というところが大きいのです。たとえ名医とされているドクターでも、それぞれの患者さんとの相性が合わなければうまくいかないことは往々にしてあります。今の主治医を信頼している人に対して主治医を変えろというなんて、どうしてそこまでの権限を持っているのでしょうか。


○おれの荷物を喜んで運べという説教

 基本的に自分の荷物は自分で管理すべきだと思っているので、父親が私の母親に自分の荷物を持たせたり、用意させたり、足りないものがあったときに怒ったりするのが理解出来ないです。旅行中に父親が自分の荷物を私に「持ってきたら?」と言ったことがありました。自分の荷物なのにそんな他人事みたいに頼むのもよくわからないので拒否したところ、鬼のように怒鳴り散らしていました。思いやりを持てとのことです。私は思いやりがない人間だというのです。頼み事をされたらできるだけ叶えてあげたいとは思います。しかしこの場合は父親の荷物を私が運ぶのが当然という心根が透けてみえていました。私も上司や先輩であれば言われなくても荷物を運びます。しかし家族という対等な人間関係で荷物運びを強制するのはおかしいのではないでしょうか。父親のなかで家族というのは対等な関係ではなく、自分が一番上で私や母は下なのです。小間使いと変わらないのです。そういった古い思想を持ってしまうのは古い時代を生きていた人間なのだから仕方ないともいえますが、自分の思い通りにならないなら怒鳴り散らすというのはいけないと思います。怒鳴り散らすのは暴力と変わりません。


○そんな顔を患者の前でするなという説教

 これが一番されてつらかった説教です。私が病院で追いつめられていることを話したところ、そんな顔を患者の前でするなという説教を恐ろしい顔でされました。私が患者さんの前で悲壮な顔をしていると思っているのでしょうか。私は、患者さんの前でつらそうな顔をして患者さんを不安にさせる訳にはいかないという意識を持っていました。ですのでその頃、患者さんの前に立つときに笑顔を作るのが本当に苦痛でした。それを全く理解していないどころか、私の患者さんの前でだけはつらそうな顔をするわけにはいかないというプライドさえ否定するのです。本当の絶望はつらいこと自体ではなく、つらいことを相談しても突き放されることだと思います。



☆☆☆そもそも説教をするのは人の優位に立ちたいという気持ちがあり、つまりは自分に自信がないという背景があるのかもしれません。誰の事も信頼できないからこそ四六時中説教しているのかもしれません。相手のためを思って言っていても、それは相手を侮辱することになることもあります。しかも説教の際に怒鳴ったりするのは暴力と変わらないです。個室で怒鳴られ、逃げ場がないというのは生命の危機を感じさせるストレスです。

伝説のマジギレ動画 http://nico.ms/sm28433138?cp_webto=share_others_androidapp

この動画が私の父親の怒鳴り方とそっくりです。こんなふうにキレる可能性のある人と同じ家に住んだり旅行に行ったりできるでしょうか。無理です、もう無理です。☆☆☆