田舎が舞台のアニメが好きだけど現実の田舎は嫌い
近年、「ゆるキャン△」や「のんのんびより」といった、田舎の風景の美しさが描かれるアニメが人気を集めており、私もそういったアニメに癒されている。コンクリートジャングルに暮らしているから、緑豊かな木々やどこまでも広がる青い空に飢えているのだろう。だが、実際の田舎はアニメのなかとは違う。
○話題が他人のうわさしかない
田舎において人々はなぜか他人に対して異常なほど関心をもっており、会話といえばうわさ話ばかりだ。だれだれが何をしていた、何を言っていた、などどうでもいいことこの上ない話を延々としている。乗っている車種まで把握しているので、だれだれの車がいついつどこにあった、なんていうプライバシーな情報まで瞬く間に拡散される。もちろん、うわさ話が楽しいのもわかる。だが、会話の始めから終わりまで他人のうわさ話というのはおかしいのではないだろうか。特に、閉鎖的な人間関係のなかで少しでも周りと違ったところがあれば盛んにうわさする。「ゆるキャン△」においてキャラクター同士がグループ行動をするとは限らず、それぞれの心地よい距離感を保っているというのは現実の田舎ではありえない。グループの輪から外れ一人で行動するりんちゃんは孤立し、ひそひそとうわさ話をされることになるだろう。
○男女関係の話について一切デリカシーがない
うわさ話で特に盛り上がるのが男女関係の話だ。ときに、だれだれとだれだれが合ってるんじゃないか、と火のないところに煙を立ててまでうわさする。そして田舎の人々はほぼ初対面の人に対しても平気で「彼氏/彼女はいるの?」「結婚してるの?子供は?」「てゆうか彼氏/彼女いたことあんの?」などと聞く。彼ら彼女らにとっては性的経験の有無さえ挨拶がわりに聞けるものだ。そういったことはある程度仲を深めてからする質問ではないだろうか。
○タクシーの運転手が失礼すぎる
田舎といえば車社会であり大体の人がマイカーを持っているが、病院への通院などタクシーを必要とする場面はある。しかし都会ほどタクシーの数は多くない。競争がないためか田舎のタクシーの運転手は往々にして横柄である。敬語を使うことは当然のごとくなく、こちらに返事すらしないこともある。そして乗客から得たプライバシーな情報を他の乗客に平気でばらまく。プロフェッショナルとしての守秘義務などない。夜に短距離でタクシーを呼んだだけで、「傷モノになったら困るからね、ヘヘヘ」となどと言って、気味の悪い笑みを浮かべていた。それが高いタクシー料金を支払う乗客への態度であろうか。
○田舎の人情なんて存在しない
田舎には都会にない情があって優しい人々がいっぱい、なんてアニメのなかにしかありえないことだ。実際の田舎の人間は、精神的に落ちこんている人間に対して冷たいものだ。うつ病といった精神病が誰にでも起きうるものであること、それを防ぐための休養やメンタルケアが重要であること、といった都会では当たり前になっている考えが田舎にはない。精神的に病み、コミュニティから抜け落ちていく人間は見てみぬふりをされるだけだ。「最近元気ないけどどうしたの?」といった働きかけはなされず、精神病により誘発されるミスやとろくささを陰で笑いものにする。こうして閉鎖的コミュニティの一定性を保とうとするのだ。
○街並みが醜悪
田舎といっても様々ではあるだろうが、アニメのなかのような美しい田舎を現実で探すのは難しいだろう。コンクリートの車道脇に狭い田畑が広がるなか、プレハブのような安っぽい建物がポっとある。そういった変わりばえのしない道路をしばらくいけば、カラオケやボーリング、ファミリーレストランといった大型の遊興施設が集まる通りにでる。そこが町で唯一の遊ぶ場所なのだ。クリーニング店の看板はピンクや青、黄色といった原色の組み合わせで醜悪極まりない。車からみて目立つことしか考えられておらず、そこに景観の美しさといった概念はない。
○アニメのなかのファンタジーな田舎が好き
現実の田舎は嫌いだけど、アニメのなかの田舎は美しい。「星空へ架かる橋」のように美少女たちと川遊びするのもいいし、「ヨスガノソラ」のように田舎の独特な閉塞感のなかで追い詰められていく人間関係もいい。「ひぐらしのなく頃に」のように田舎の謎の風習で幼女が崇められてるのもいい。ヒロインが神社の巫女さんだったり、主人公が地主の息子でなまり言葉を話すのにも萌える。どうしてアニメのなかの田舎は現実と違ってロマンであふれているのだろう?それは私と同じように現実の田舎に絶望した人たちが、自分の田舎への理想を詰め込んでいるからなのかもしれない。