沼に飛ぶ!!

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どう考えても人間は子供より大人の方が楽だし、猫は子猫より成猫の方が可愛い

○子供より大人の方が楽


 最近不愉快なテレビCMがある。人気漫画のONE PIECEのキャラクターが、現代の日本の学生生活を送るという日清カップヌードルのCMだ。転校することになったビビが電車でスマホから動画を受けとる。それはルフィ達が横並びになって拳を上に突き上げるところを後ろから撮ったものだった、というのがそのCMである。学生時代の友達同士の絆の美しさを描いたようだが私にはそんなものはなかったので、本当にしゃらくせぇ!としか思わなかった。そもそもONE PIECEって現代日本ではありえないような辛い過去を抱えたキャラクターが描かれたりしていて、そんな仲間!絆!スバラシイ!だけの漫画じゃなかった気がするのですが・・・。このCMを楽しめるような、学生時代は楽しかったと言う人だって学生のときは学生なりの悩みを抱えていて、辛かったのを忘れているだけだと思う。私は学生の頃が辛かったのを覚えている。



○学校で授業を受けるのが苦痛


 まず、学生は学校で授業を長時間にわたって受けなければならない。大人になってごくたまに授業というものを受ける機会があると、よくこんなことを学生時代には出来ていたなと思う。飲食や携帯をいじることも許されず、ただ席に座って人の話を聞くのは苦痛だ。集中しているのはもって20分、面白い授業でも40分が限界。こんなことを中学〜高校時代は50分×6、大学時代は80分×4、週5日していたなんて考えられない。それだけでも過去の自分に表彰状をあげたい。おそらく授業というのは頭のいい人、情報を他人の話から受けとる能力の高い人でないと意味がない。そういう人にとっては、必要な情報がコンパクトに説明される授業というものが効率いいのだろう。私は人の話を聞くのが苦手なので、参考書で丁寧に説明されているようなことが黒板に書かれていて、それをまたノートに写すなんてことに全く意味を感じなかった。かといって内職(授業中に他の勉強を自分ですること)もするような度胸もやる気もないので、ほとんどの時間を寝て過ごした。同じように考える生徒もいたのか、耳栓をして授業をシャットアウトして内職していた人がいた。その子は教師にひどく怒られていたけれど、私の高校の校風なのか、そういったときは生徒も教師に果敢に反論していた。そういった女生徒の生意気な主張による舌戦で授業が中断されるといったことはよくあり、私は傍観しているだけだったけれど、その時間は楽しかった。そもそも勉強というものはインプットとアウトプットのバランスが重要になってくる。インプットとは教科書や参考書を読んで情報を理解し覚えること、アウトプットとは自分の頭から情報を取り出して外に書き出したりすることだ。これを交互に繰り返すことで記憶が定着する。受験勉強はほとんどが暗記なのでこのあたりを早めに理解した要領のいい人、またはがむしゃらに何十時間も勉強する人が受験を制する。学校においてはインプットの機会は授業しかなく、アウトプットの機会は定期試験しかない。今になってみると、こんな要領の悪い場所によく長時間・長期間いれたなぁと思う。



○休み時間も苦痛


 また、休み時間というのも苦痛だった。私は女子の友達グループというものにうまく所属できなかった。それでも仲がいい人はいたから世間話なんかをして時間をやり過ごしていたけれど、そこでも何を話していいのかわからなかった。女子同士というのは「同調」が最も重要である。つまり、私はあなたと同じ気持ちだ、と示すことだ。古代において人間は狩猟採集時代が長かった。男は狩りに行き、女は食べられる植物を探す。女に与えられたこの採集という役割では、どこに食べられる植物があるのかという情報を女同士でやり取りする必要があった。そのため、現代でも女は集団での調和と言語によるコミュニケーションを重要視している。そして女同士の会話において重要なのは面白い話をすることではなく、共感のえやすい話をしたり、相手の話を肯定することで「同調の意」を示すことだ。私はあなたと同じですよ〜ということである。見た目や学力、財力、どんな男と付き合っているのか、結婚はしているのか、子供はいるのか、子供は何人か・・・等、女同士は死ぬまで比べられ続ける。そのなかで相手が自分と同じステージにいるのかを探り合い、同調する。そうでないと嫉妬され、グループから外されることになるのだ。現代では一人でなんとかなることも多いけれど、狩猟採集時代においてハブられることは死に直結した。その遺伝子が現代でも女同士の同調圧力として脈々と受け継がれているのだ。



○ktgiの母親はktgi


 私は高校時代、なぜか涙が止まらなくなることがよくあって保健室で意味もなく泣いていた。一度涙腺が決壊すると1時間くらいは涙が止まらない。保健の先生は困って、友達と嫌なことがあったの?とか家で嫌なことがあるの?とか聞いてきたけれど、自分でも泣く原因はよくわからなかった。多分、いろいろ辛かったのだと思う。とりあえず保健室に行けば、授業も休み時間もなくカーテンに囲われたベッドにいることが出来た。ここで保健の先生が教室に戻ることを難しいと考えると、母親を呼んで迎えに来てもらうことになるのだが、ここでの私の母は全く同調というものをしてくれなかった。「歌のレッスンに行くところだったのに」とか文句を言いながら来て、私が泣いた理由を聞くこともなかった。当時は冷たい母親だと思っていたが、今になるとそれが自己憐憫や被害妄想の激しい私にはちょうどよかったのではないかと思う。私は職業上、様々なktgiを見てきたが、そこで思ったのが、ktgiの母親は余りにも子供に対して全てを肯定しすぎるということだ。ktgiが「私はこんなことをされた〜!」と騒ぐとその母親は「○○ちゃんかわいそう!ひどい!」と一緒になって騒ぐのだ。つまり、子供に同調しすぎなのである。このことでktgiの自己憐憫と被害妄想を加速させてしまっているように思える。今になってみれば、私の母親が全くそういうタイプではなく、どちらかといえば同調というより空気の読めないことを言ってしまうタイプであることは、私にとって良かったのだと思う。



○猫は子猫より成猫がかわいい


 話は変わって、猫がかわいいというのは揺るぎない事実だが、猫は子猫より成猫の方がかわいいと思う。もちろん子猫も本当にかわいい。目が大きくクリっとしていて高い声でミー!と鳴く。頼りなくヨタヨタと歩いていて、これより純粋でかわいらしい存在なんてないと思う。だがそんな子猫も大人になるとふてぶてしい顔つきになり、私を馬鹿にしきった目で見下し、ニャー!と鳴くときはなにかしらの要求か不満を示す時のみである。今日も私の部屋を太い脚でのしのしと歩いている。それでもかわいい。こんなにかわいいのにふてぶてしい態度でいることがかわいい。あざとさというものがなく、ごはんをもらうとき以外は媚を売らない。自分のかわいさにあぐらをかき、目やにをつけた不細工な顔でいつも私を監視している。そこがかわいい。とにかくかわいい!猫は子猫もかわいいですが、成猫になるとよりかわいいと思います!!