沼に飛ぶ!!

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医学部の裏口入学および女子受験生冷遇にみる私立医学部の実情

 2018年頃、東京医科大学医学部において裏口入学があることが報道されたことで、医学部入試において女子受験生が不当に冷遇されていることが明らかになった。テレビや週刊誌ではセンセーショナルに取り上げられていたけれど、医学部受験業界では東京医科大学だけでなく、某T大医学部などあらゆる私立医学部に裏口入学があることも、女子受験生が男子受験生に比べて合格しづらいことも公然の事実だった。裏口入学は双方のメリットのもとに成立している。大学側は常に赤字でお金を必要としているし、受験生は受験戦争から解放されて海外旅行に行くことを望んでいるのだ。そして大学上層部と受験生の縁者親類のコネをもとに裏の契約にいたる。女子受験生が男子受験生に比べて合格しづらいのは、単に試験の点数で合格者を決めると女子の方が多くなってしまうからである。東大医学部など最高峰の争いでは天才性のある男子が優勢だが、私立医学部受験という2番手の争いでは真面目な女子の方が強い。だが医学部入学者はそのまま全員医者になる(ことになっている)ため、女子の方が多いと大学医局が確保できる男性医師は確実に減る(と思われている)。女医でもいいじゃないかとも思うが、実情として外科・整形外科・循環器内科といった圧倒的に男性の割合が多い医局は、医師が確保できなくて困ることになるだろう。医学部受験においてある程度の男女比率調整は必要悪なのだ。だが、裏口入学が必要悪かというと明らかに「悪」の方だとわたしは思う。裏口入学者は質が悪い。裏口入学をさせるような親から産まれてきたからなのか、ペーパーテストや面接によるふるいにかけられていないからなのか、とにかく倫理観の低い学生が多い。

◯犯罪者、逮捕者
 わたしの通っていた医学部の同じ学年の学生は特に質が悪かったのか、犯罪者・逮捕者が複数出ている。詳しく書けないし、そもそも詳細不明だが1学年に100人程度しかいないのに犯罪者や逮捕者が出ているなんて打率高すぎではないだろうか。倫理観の低さがうかがえる。


新興宗教
 詳しく書けない。


◯金銭感覚がおかしい
 私立大医学部の学費はケタ違いに高い。そのため多くが医者家系の子女である。初対面では「親、医者なの?」といった会話がお決まりになっているくらいだ。もちろんお金持ちだから性格が悪いわけではない。だが性格の悪いお金持ちはたちが悪い。平気で数十万単位のお金をパチンコですったことを自慢げに話したり、大勢の飲み会を開いて会計のお金を全て払ってしまったりする。それは全て親のお金だが、後輩にありがとうございます!とか言われていい気になっている。


◯プライドが高くてコンプレックスが強い。弱いものいじめをする。
 おそらくプライドとコンプレックスは比例している。自分の学力が低いというコンプレックスの強さはプライドの高さとして現れる。自分が少しでも下に見られることが許せず、人を蹴落としてでも自分が優位にたちたいと思っている。自分より劣っているものを助けようなどとは思わず、馬鹿にして笑い者にする。


◯性的関係が乱れている
 性的倫理観に乏しく、男子であれば他学部の女子をヤり捨てたり、女子であれば誰とでも寝たり友達の彼氏を奪ったりする。そのため医学部という狭い人間関係の中で性的関係が数珠状に繋がっている。


◯秘密主義
 医学部内の試験は国家試験と違って絶対評価であるからお互いに助け合うべきなのに、試験情報を隠す。または限られた仲間うちに留めようとする。医学部において厳しい進級・卒業試験に通るかは死活問題なので、だれだれが情報を隠しているんじゃないか、などと互いに疑心暗鬼になっている。


 ここまで人間関係の悪いところが煮詰まってしまったのは、学生のせいだけではない。厳しい出欠管理や試験の連続、拘束時間の長い実習、閉鎖的な人間関係のなかで医学部生は常にストレスフルな状態にある。将来何科の医師になるかに関わらず、全ての科の範囲の勉強をしなければならない。そして医学の発展が進む分、試験に出る範囲も増えていく。ノイローゼになって欠けていく同級生、いつの間にか後輩になっている先輩を見ていくうちに医学部生は病んでいく。そういった集団に一滴でも倫理観の低い学生を混ぜれば、たちどころにガスを撒き散らして通常の学生に悪い影響を与え、悪い影響を与えられた学生が他の学生に悪い影響を与え…、いずれ集団全体の倫理観が下がっていく。そして数年後その集団は大学病院に入局する医師になるのだ。裏口入学は短期的にみれば大学にとって経済的利益になるだろう。だが長期的にみれば必ず自らの首をしめる結果になる。目先の利益にとらわれて結局は損をするのだ。朝三暮四。大学側は将来の社会を支える医師を育てるためにも、ある程度の男女比率調整はともかく、裏口で質の悪い学生を入学させるのはやめてほしいと強く言いたい。

恐怖!友達を泊めたら勝手に合鍵を作られていた話

 友達を家に呼ぶのが好きだ。一人暮らしで話し相手は猫しかいないので、友達が来てくれるとうれしくなる。料理を用意したり、テレビ番組やDVDで面白い映像を見せたり、猫に芸をさせたりととにかく相手が恐縮してしまうくらい歓待してしまう。友達が帰ろうとすればさびしくなるが、いざ友達が帰ると少しほっとする。やはり自分の陣地には自分しかいないほうが気楽だ。


 あれはわたしが社会人になったばかりの頃の話だ。その頃わたしは研修医として大学病院付属の病院で働いており、大学の敷地内にある寮に住んでいた。同じ敷地内には大学の薬学部もあり、わたしの中高の同級生が学生として通っていたので、わたしの部屋まで遊びにくることがあった。その友達は高校の指定校推薦を受けて某有名私立大に行くことになっていたが、途中で薬学部に進路変更し、わたしの通う大学の薬学部に編入してきたのだ。その事は推薦してくれた母校への裏切りというか、そいつがそんな事をしなければ同級生の別の誰かが某有名私立大卒の称号を手に出来たのに、とも思ってしまう。だが、それは今回の主題ではないので置いておいて、そいつがわたしの部屋の合鍵を勝手に作ったのだ。


 なぜ合鍵を作られた事に気がついたかというと、そいつがわたしの部屋に泊まっていった次の日の事である。朝、そいつはわたしより早く部屋を出ていった。布団が敷きっぱなしだったのでおいおいと思ったが、わたしもその後すぐ鍵をしめて家を出た。昼になってわたしは忘れ物をとりに部屋に戻った。すると不思議、布団がきれいにたたまれていたのである。なぜ?わたしはちゃんと鍵をしめてから部屋をでた。そしてその時には布団は敷きっぱなしだった。だが今、布団はたたまれている。答えは一つしかない。どうやったかはわからないが、わたし以外に鍵を持っている人間がいてそいつが布団をたたんだのだ。そしてそんなことするやつは一人しかいない。すぐにラインで連絡をとった。するとそいつはあっさり認めた。「荷物とか置いてあるからその時のために合鍵作っておいたんだよ😊」とのことだった。前にわたしの家で飲み会をしたとき、わたしの終業時間より早くそいつの授業が終わるため、鍵を一時的に貸したことがあった。その時に勝手に合鍵を作られていたのだ。「いいから合鍵返して」と繰り返すと「そんな疑うようなこと言われて悲しい😞」とのことだった。「悲しいのはこっちの方だよ」と返信してそいつとは縁が切れた。会うのも嫌だったので、合鍵は郵便受けに返してもらった。


 何が言いたいのかというと、どんなに信頼できる人でも、たとえほんの一時でも、自分の家の鍵を渡してはいけないということだ。それは思いもよらない事態を生む恐れがある。わたしだって友達が了承なしに勝手に合鍵を作るなんて、完全に想定外だった。家に招くくらい仲の良い友達でも、中高からの同級生でも他人であり、他人には他人の常識があるのだろう。現在2021年の4月なので、新しい環境で新しい友達を作っている方も多いかと思う。だけれど、どんなに信頼している友達でも家の鍵を渡してはいけない!それだけは伝えておきたい。

大腸カメラを受けてみたけれど肛門から何か入ってくるなんて普通の事じゃない

 前からいつかは大腸カメラを受けようと思っていた。というのも、わたしは大腸カメラをやる側なので患者さんの感覚を知ってみたかったのだ。全く痛くなかったという患者さんもいれば、痛くてたまらなかった患者さんもいた。開腹の手術歴や子宮内膜症の既往があると、腹膜が繊維化して大腸カメラが痛くなりやすいようだが、それだけでは説明できないことも多かった。あと1ヵ月で女性の内視鏡の先生が退職されるということもあり、急きょ大腸カメラを受けることにしてみた。


○前日夜

 前日は消化のよいものを少し食べ、下剤を飲むことになっている。お腹が空いてしょうがなかったが、ピコスルファート(シンラック)という液状の下剤をビールで流し込んだ。今までさんざん患者さんにピコスルファートを処方してきたのに、初めてピコスルファートが甘いことを知った。やはり何ごとも経験してみるものだ。下剤を飲んでも何ともなかったので、まぁ明日でればいいかと考えていた。しかし2時間後、地獄をみることになった。吐き気と腹痛、下痢でトイレを離れられない。もともと便秘ぎみだったせいか、とにかくお腹のぜん動が痛い。トイレに何度も通っていたが寝ないわけにもいかないと思い、ベッドに戻って無理やり寝た。


○当日朝

 昨日の苦しみはなんだったのかというくらい爽やかに朝を迎えた。当日は検査までにマグコロールという液体の下剤を1800ml飲んで、便を透明にしなければならない。便が残っていると大腸カメラをしても便が邪魔でうまく腸を観察できないのだ。よくダイエットサプリの広告では腸にこびりついた宿便をすっきり出して体質改善!とか言われているから、腸内の便を全部出したらすっきりするのかと思っていた。しかし現実ではそうもならず、脱水でぐったりとしてしまった。マグコロールがポカリスエットのような味なのでおいしくゴクゴク飲んで、水を飲むのをおこたっていたのだ。マグコロールの水分は水様便として全て出てしまっていたようだ。検査前からグロッキーになりながら看護師さんに点滴をしてもらい、おしりのところに縦の切れ込みが入っている紙のトランクスに着替える。いよいよ名前を呼ばれて検査室に点滴棒を引きながら入った。


○大腸カメラを受ける

 大腸カメラを受けた病院は私の勤務している病院であり、先生も看護師さんも同僚なのでなごやかな雰囲気だった。先生におしりを向けるように診察台に横になる。目の前には大腸カメラからみた映像を写す画面があった。わたしも大腸カメラをやる側として流れもわかっているのだが、かなり緊張していた。よく考えれば肛門から太さ1cm以上、長さ1m以上の黒いホースのような医療器具を入れるなんてどうかしてる。まず肛門に先生のゼリーのついた人差し指が入る。大腸カメラが入りやすいように潤滑剤を塗るのだ。そして大腸カメラが入ってくる。わたしが大腸カメラをやるときは「肛門に力が入っているとカメラが入らないので力を抜いてくださいね」などと声をかけていた。だが自分が大腸カメラを受ける側になって無茶言うな、と思った。肛門から何か入ってくるなんて普通の事じゃない。大腸カメラの最初の関門はS状結腸を越えることだ。大腸は肛門から直腸、S状結腸、下行結腸、横行結腸、上行結腸、盲腸で構成されており、そのなかでS状結腸、横行結腸、盲腸は腹膜に固定されていない。そのため腹腔内をぶらぶらとしており、大腸カメラを入れずらい構造なのだ。S状結腸を越えるのは内視鏡のドクターの技術が必要になってくる。しゃくとり虫のように少し進んでは引いて腸を大腸カメラでたぐりよせていくのだ。これをpull 法というが、うまくいかない腸の場合は大腸カメラを押し入れてS状結腸を越える。これをpush法という。当然、pull法の方が痛くないのだが、わたしの腸は後者の方だったようだ。先生が「ダメだ」と言いながら、わたしの腸にグイグイとカメラを入れてきた。腸に痛みを感じる神経はないが、腸からつながった腹膜には神経があるので、わたしの腸は引っ張られてものすごくお腹を下したときのような痛みが広がった。しかもわたしは「どんな感じなのか体験したいから鎮静剤の点滴は使わなくていいですよ!」と言いのけていた。「イタイイタイって!ホリゾンホリゾン使って~!」などと情けないことを言っていたが、先生は全く動じずにカメラを進めた。しかも肛門にぬったゼリーには痛み止めが入っていなかったので、先生がカメラを押したり引いたりするたびに便を強制的に出し入れさせられているような感覚があって気持ち悪かった。普段はキシロカインゼリーという痛み止めが肛門に塗られるのだが、キシロカインゼリーを作っている小林化工が水虫の治療薬に睡眠薬を混入させていまうという事故を起こしたことで業務停止をくらい(※1)、キシロカインゼリーが不足していたのだ。あとでキシロカインゼリーを追加してもらったら、肛門の感覚が一気になくなって楽になった。以前はこんなゼリー塗るくらいで効くのかなぁと思っていたのだが、すごい威力を持っていたのだ。S状結腸を越えてしまえばあとはなんということもなかった。あっという間にカメラは盲腸まで到達し、腸内を観察しながら抜かれていった。わたしは満身創痍になりながら「もう適当でいいですよ」と言ったけれど、先生は「ダメですよちゃんと見ないと」と優しく答え、小さなポリープを見つけて取ってくれた。若年でも無害な小さいポリープがあることはある。終わってしまえば解放感ですっきりとした。ずっといつかやろうと思っていたことが終わったのだ。わたしの年齢からしてあと20年は大腸カメラをやることはないだろう。


○1週間後

 1週間後に大腸カメラでとったポリープの病理結果がでた。腺腫ということだった。腺腫は大きくなると癌化することがあるので、「これから2~3年ごとに大腸カメラを受けたほうがいいですね」と言われてしまった。祖母が大腸癌だったのでそういう家系なのかもしれない。え~!と思ったけれどあと2~3年はあの経験をしなくていいのだ。大腸カメラをやる側からすると、1日に何件もある検査のひとつにすぎないような気がしてしまうが、患者の立場になるとたいへんな精神状態を乗り越えなければならないものなのだな、と悟ることができた体験だった。お会計は18000円、ポリープを取って病理検査をしたので通常より高くなっていたはずだ。痛いときもあったけれどそれは1分間続かないくらいだったし、今回は鎮静剤を使っていなかった。大腸カメラは気合いを入れればいつでもできる検査だと思うので、必要な人は受けてみることをおすすめします。


※1 小林化工に業務停止命令
https://news.yahoo.co.jp/articles/f08f4fe3d737175829e66595bc0e7318abf8592a

icl(眼内レンズ)の手術を受けて視力矯正してきた

 視力矯正の手術をずっと受けたいと思っていた。D-3.75のコンタクトレンズを使っていたけど、お金もかかるし装着もめんどくさい。だからメガネで過ごすことが多かったけど、メガネもメガネでいつもきれいに磨いておかないと視野が曇るのがわずらわしかった。視力矯正の手術としてはレーシックが有名だが、レーザーで角膜を削るのも怖くてicl(眼内レンズ)の手術を受けることにした。iclは角膜に小さな切れ込みを入れ、そこから眼内レンズ(コンタクトレンズのようなもの)を入れる手術のことだ。問題があればレンズを取り出すことができるのも安心だと思った。


◯大学病院に予約を入れる

 手術を受ける病院として北里大学病院を選んだ。神奈川県の相模大野駅からバスで30分とアクセスは悪いが、眼内レンズが開発された当初から手術をしており、症例数が多い。都心のクリニックでも眼内レンズの手術をしているところはあるけれど、眼内レンズの歴史は浅いので20~30年といった長期の合併症については未知数だ。将来的に何か問題が起きたとして、その時も存在する病院と考えると大学病院なら大丈夫だろうと思った。大学病院は基本的に紹介状がないと受診できないので近くの眼科クリニックで紹介状を書いてもらった。この時点でいろいろな検査も含めて5000円近くかかった。そして電話で大学病院の外来予約をとった。


◯術前検査を受ける

 術前検査を受けるにあたって、正確な検査結果を得るために2週間コンタクトレンズをつけてはいけないらしい。2週間メガネで過ごしてから、有休をとって再び北里大学病院に向かった。建て替えたばかりらしく病院はきれいで広かった。術前検査はランドルト環による視力測定(Cのような記号を見せられて上下左右どこに穴が空いてるか答える)、よくわからない機械で眼を何度も撮影されるなど3~4時間に及ぶ徹底したものだった。採血や心電図といった一般検査もあった。その後、眼科医の診察を受けた。今まで知らなかったが、わたしは近視に加え乱視も入っているらしい。それも含めて矯正していくこととなった。レンズの取り寄せに時間がかかるらしく、手術日は2ヶ月ほど先に決まった。


◯手術日に病院に向かう

 日帰り手術なので午前8時半に病院集合だった。看護師さんに案内を受けて術衣に着替え、瞳孔を開かせる点眼薬をさして、セルシンという抗不安薬を内服した。この時点でわたしはようやく眼科の手術を受ける実感がわき、恐怖で指先が冷たくなった。同時に手術を受ける人がふたり横に座っていた。一人は同じ年頃の男性で、もう一人はおばあ様だった。男性の方は前に眼内レンズの手術を受けて特に問題なく過ごしていたらしいのだが、顔をぶつけたときにレンズがずれてしまってそれをなおす手術を受けるらしい。「これからその手術なのに不安にさせることを言ってすみません」と言ってくれた。おばあ様の方は白内障の手術らしく、怯えているわたしに「もうここまで来たら考えてもしょうがないでしょ」となぐさめてくれた。やはり年の功はすごいなと思った。時間になり、看護師さんの先導で手術室に連れていかれることになった。瞳孔を開かせる点眼薬の効果が出ていて、視界はまぶしく近くの文字は見えない状態だった。


◯手術を受ける

 歩いて自動ドアを通過すると、とにかく白くて広い空間に手術室がたくさん並んでいた。わたしの受ける眼科の手術は30分もかからないような手術だが、隣の手術室では他の科の大きな手術も行われているようだった。手術室の緊張感あふれる雰囲気にのまれてしまい、看護師さんに「ちょっとトイレ行っていいですか」と尋ねてトイレにこもった。わたしは緊張するとお腹を下すのだ。ホーンテッドマンションに友達に無理やり乗せられる前にもトイレにこもっていた。トイレを済ませてから手術室に戻った。眼科の手術室は広くリクライニングシートのようなオペ台が横に3列並んでいた。瞳孔を開かせるためなのか暗かった。とうとうわたしの番になってオペ台に座った。オペ台が動いてあおむけの状態になる。この時点が恐怖のマックスで、わたしはどうしてこんなつらいことを自ら望んですることにしてしまったのだろうと考えていた。たがもう後戻りは出来ない。開瞼器という冷たい金属でまぶたを上下固定され、強制的に開眼させられた。点眼麻酔のあとメスで角膜に切り込みを入れられる。よくこの手術を受けた話をすると「メスとか近づいてくるの見えるんでしょ!?」と言われるが、眼が乾燥しないように先生が常時水をかけてくれるので、プールの中で眼を開けているような視界のなか何が起きているのかよくわからなかった。点眼麻酔が効いていて痛くもない。とにかく怖いだけだ。そして角膜の切れ込みからヒアルロン酸を注入されてから、眼内レンズを注入される。眼内レンズはたたまれた状態で注射器の中に入っていて、その注射器から眼内に注入されるのだ。その後眼内で先生が位置を調整する。注射器で眼を押されたとき、わたしの意思とは関係なく眼球が動かされるのを感じた。すると先生は「前見ててください」と言った。眼を閉じることはできないが眼球を動かすのはわたし次第なのだ。怖くて必死に前を見るようにしていた。過呼吸で手足がしびれるのを感じた。予定通り両眼で30分もかからなかったけれど、その間ずっと早く終われ終われと願っていた。


◯術後

 術後、すぐに視力がよくなっているのがわかった。裸眼なのにコンタクトレンズをしているみたいだ。おもしろくて家に帰るまでキョロキョロといろんなところを見た。術後1週間で外来受診したとき、両眼1.5と今までにないくらいの視力を記録した。グレア(光の周囲に輪が見えること)とゴロゴロ感は数週間でよくなった。それとこれは思わぬ効果だが、寝坊魔のわたしが朝起きられるようになった。寝坊で今までの人生どれだけダメ人間と思われてきたかわからない。それが解消されたのだ。理由ははっきりしないが、今まで当たり前になっていた近視・乱視の世界は思っていたよりわたしにストレスを与え、体内の時間リズムを狂わせていたのかもしれない。よくわからないが、本当に手術を受けてよかったと思っている。わたしも年をとって老眼になれば視力は落ちるので、メガネといった視力矯正がまた必要になるかもしれない。白内障になれば手術を受けることにもなるだろう。だからこそ眼内レンズの恩恵を長く受けるために手術を受けるなら早めに受けることが勧められる。気になるお値段は健康保険がきかないこともあり50万円でした。(今はもっと高くなっているらしい)高かったけれどそれだけの価値を感じています。常に緻密な世界が見れるって素晴らしい。世界は輝いていたんだ。災害時にもメガネやコンタクトレンズのことを考えなくてすむ。icl(眼内レンズ)、とにかくオススメです!

【アイドル声優とオタクの関係】ゆかりんという偶像を追いかけて

 ゆかりんこと声優であり、世界一可愛いアイドルの田村ゆかりさんのファンを続けて早10年になる。2010年頃、ゆかりんはアニメロサマーライブのトリを飾ったり、主演アニメのOPやEDのタイアップを行うなどいわゆるアイドル声優的な露出が絶頂期で、王国民と呼ばれるゆかりんファンの厚いコール(アイドルの歌にファンが合いの手を入れること)も大きな注目を集めていた。ゆかりんのライブはコールが本当に楽しくてオタクとしての一体感に酔いしれた。その後ゆかりんキングレコードを離れ、1年程CDリリースやライブを休止する時期があった。キングレコード時代にもより下の世代のアイドル声優への移行を促す大人の事情的ムーブがあり、現在は騒がしくリア充的なアイドル声優オタクというより旧世代的なおとなしいアイドル声優オタクが残ったように思う。その分コールは薄くなってしまったかもしれないが、純粋で一途なオタクが多い。私は清水愛新谷良子といった黒髪ロングでオタク気質を持つ我ら陰キャ寄りの女性声優が前から好きなので、Run Girls Run!といった最近の10代の女性声優のオタクが陽キャ大学生的なノリで騒いだり、積極的に声優さん同士のやり取りに絡んでいくのが信じられない。かといって王国民が40代以上のオタクで構成されているということもなく、意外と20代~30代が多い。王国民歴20年以上の古参の昭和的な親衛隊オタクもいるが圧倒的にソロが多い。そして若いロリータファッションの女性も多い。現代的なアイドル声優オタクのノリについていけなかった、おとなしくてコールの時にしか己を解放させることができないタイプのオタクが多い。


 われわれ王国民が誇るのはゆかりんと王国民の関係性である。元来、アイドルとオタクというのは欺瞞性に満ちた関係である。オタクはそのアイドルが大好きだからこそオタクである。しかし、アイドルの方はオタクの本名どころか存在すら知らないことが多い。それでもアイドルは「みんな大好きだよー!」と言って、オタクは「俺もー!」と言って歓声をあげる。しかしオタクだって心の底ではわかっている。存在すら知らないオタクをアイドルが好きだと言ってくれるのは、オタクがアイドルの財政や承認要求を満たしてくれるからだ。決してアイドル当人が「俺くん」を愛しているからではない。そんな欺瞞を感じながらも、お互いが必要な存在であるから「大好き」と言い合う、歪な共依存を呈している。だがゆかりんは本気で王国民のことが好きなんじゃないか、と思わせるところがある。まずゆかりんの全開の笑顔である。20曲以上生歌でダンスするのは大変なはずなのに、常に笑顔を崩さない。本来、笑顔というのは目が細くなるものであるから、アイドルたちは笑顔でありつつも目はしっかりと真開いてかわいさを維持しようとしている子が多い気がする。でもゆかりんは全力の笑顔をオタクに向けてくれる。ゆかりんは本気でゆかりんが好きだし、王国民が好きなんだと思う。特にゆかりんは王国民が好き、と確信が持てたのは2020年11月パシフィコ横浜国立大ホールで行われたファンクラブイベントでのゆかりんの言葉である。コロナ窩でライブツアーが延期になったなかでようやく行われたリアルイベントで、Sweetest Love、Rainy Rainy Sundayといったゆかりんいわく「コールが我慢できないような曲じゃなくて今のつらい状況をそっと後押ししてくれるような曲」(意訳)がアコースティックで披露された。Melodyでの「どんな道のりも朝が来るんだと信じてる 涙の跡を超えて進むんだね」という歌詞には泣かせられた。古参歓喜のセットリストだったと思う。最後のあいさつでゆかりんは言葉をつまらせながらも「もう会えないかもしれない人も、なんていうか…、(客席の上あたりの空間を指さして)この辺に来てくれたらいいと思う」(意訳)と語りかけてくれた。この言葉にはアイドルからオタクへの承認要求とか優しい嘘とかを越えた深い愛情を感じさせられた。確かにゆかりんは我々王国民が好きなんだと思う。他のどのアイドルを見てもゆかりんに会いたいと思う。ゆかりんの方がすごかった、ゆかりんの方がプロ意識を感じさせた、ゆかりんの方が歌もダンスも上手くて、衣装だって凝ってて、ステージ演出だって綺麗だった。ゆかりんは俺がいないとダメなんだ。2021年5月からコロナの影響で延期になっていたライブツアー田村ゆかり LOVE ♡ LIVE 2021 *Airy-Fairy Twintail*が始まる。アイドル歴20年を越えた俺たちのアイドル、ゆかりんがどこに向かうのか。推しは推せるときに推せという。これからも私は可能な限り王国民であり続けたい。

銭湯に行ったらのぞきにあって、居酒屋に女一人で行ったら塩対応を受けて、町内会に参加したら水商売の女が同伴していた話

 近頃どの町も同じようになっていき町の個性が失われているという。渋谷あたりは特に開発が進んでいて、どんどん大きな商業施設ができている。いずれ渋谷はギャルと怪しい外人が闊歩する汚い町ではなくなるだろう。昔ながらの個人商店がつぶれてできるのは、大手のコンビニやドラッグストアであり、大型商業施設にはスーパーやユニクロが入る。どの町も大型資本企業に占拠され、その町らしい古くからあるものは失われていく。だが、私の住んでいる町は昔ながらの下町であり、銭湯や個人商店、町内会といった古きよき文化が今でも色濃く残っている。


◯銭湯に行ったらのぞきにあった

 銭湯といえば減っていく一方で失われつつある文化であるが、私の住んでいる町は銭湯の数がかなり多く、その日の気分で選べるくらい点在している。普段と違う銭湯にでも行ってみようと思ったのが間違いだった。その銭湯に入ると女湯の窓が開いており、窓が公道に面していたのだ。あわてて閉めようとすると男性の通行人が2、3人くらい目が合うくらい近くにいた。この時私は裸だったので本当にゾッとした。この事を番台さんに言うと、湯気を逃がすために窓を開けている、人の通らない路地に面している窓だから問題ないと言って、全くとりあってくれなかった。人の通らない路地に面しているのに、男性の通行人が何人もいたのだ。別の目的があったとしか考えられず、本当に気持ち悪い。しかも現代は誰でもスマートフォンで録画や撮影ができる時代だ。湯気を逃がすのでも公道に面している窓を開ける必要はないと思うし、どうしても開けるなら、すだれをかけたり、生け垣をつくることだってできるはずだ。銭湯が安全で心地よいものだという前提が崩れる出来事だった。それ以来、私は銭湯に行くのをやめた。


◯個人経営居酒屋で塩対応を受ける

 吉田類の酒場放浪記という番組が好きだ。おじさんが町の居酒屋にふらっと入って飲み食いするだけなのだけど、お酒も料理もおいしそうだし、店主や常連とのあたたかいコミュニケーションもチェーン居酒屋にはないもので憧れる。私の住んでいる町も庶民的な小さい居酒屋がひしめきあっているようなところなので、一人でふらっと飲みに行くことがある。しかし、必ずしもあたたかい店主や常連に会えるわけではない。いきなり中国語なまりの店主に「アナタそれ地声デスカ?男に媚びた声、ワタシ嫌いデス」と言われたり、後ろで男性客たちに「女の子が一人で来てるよ~」みたいな陰口を叩かれたりしたこともあります。行く店が悪いのかと思い、昔ながらのおかみさんが一人で切り盛りしてるような家庭的な居酒屋に行ってきたのですが、客が私しかいなかったためか「コロナの時短営業でね、もう商売になんないよ。向かいのもつ煮屋さん行ったことあるの?もつってのは安い肉で、外国産でしょ?うちは国産のいいものしか使わないから」と店主はグチグチ言いたい放題でした。これは私の持論ですが、自分の料理や技術に過度の自信を持っているプライドの高い店は「客に食べさせてやっている」というスタンスになりがちで、それが店の居心地の悪さや全体的な質の低下につながっていきます。老舗の名店と呼ばれるような店に起こりがちです。その後も「一人で飲んで寂しくないの?」「男の人と出かけたりしないの?」などといぶかしげな顔で根掘り葉掘り聞いてきました。やはりまだ女の一人飲みは難しい時代のようです。生まれ変わったら吉田類になりたい。


◯町内会に参加したら水商売の女が同伴していた

 東京で一人暮らしをしている人で町内会に入っている人はほとんどいないと思う。でも私は子供の頃から住んでいた町で一人暮らしを始めたこともあり、町内会に入ってみることにした。子供の頃には町内会のお祭りやクリスマスイベントに参加していたこともあり、町内会に身近ないいイメージを持っていた。そして今住んでいる町の町内会に区役所を通じて入会希望を伝えると、役員の40~50代くらいの男性から連絡がきた。その男性の誘いで近くの小学校で行われるビーチボールバレー大会の見学をすることになった。大会の参加者は子供から大人までたくさんいて、世代を超えて白熱した試合をしていた。不思議だったのが、その連絡をしてきた役員男性が若い女性を連れていたことだ。私と同じように町内会に入ったばかりの人かと思い、「あなたも最近引っ越してこられたんですか?」と聞いたところ「違います」とはっきり否定された。役員男性はその若い女性にやたらと気をつかって話しかけたり、飲み物を渡したりしていた。謎の女性の正体が明らかになったのはバレーボール大会が終わったあと、ファミリーレストランで飲み会になったときのことだ。「エスカルゴ食べたことないの?だいじょうぶだよ食べてみなよ~ゆきちゃん」などと更に親しげにその謎の若い女性に話しかけていたので、その役員男性が席を外した隙に他の町内会の人に「あの人✕✕さんの彼女なんですか?」と聞いてみたのだ。すると「彼女っていうか、…ガールズバーの子だと思うよ」とのことだった。要するに、水商売の女の子にお金を払って休日をいっしょに過ごしてもらっていたのだ。気持ち悪いと思うけれど、それは個人の自由だろう。でもそれにしたって町内会の集まりに連れて来なくてもよかったのではないだろうか。その後も役員男性から何回か連絡が来たが、私が町内会に参加することはなかった。


◯銭湯も個人経営居酒屋も町内会も滅びゆくものは滅びゆくべくして滅びていく

 古くからあるからよいものとは限らない。銭湯も個人経営居酒屋も町内会も、滅びゆくだけの原因があったから滅びてゆくのだ。ファミリーマートばんざい!マツモトキヨシばんざい!サイゼリヤばんざい!近頃どの町も同じようになっていき町の個性が失われているという。それでいい、便利なのがいい。他人に無関心で、セクハラもモラハラもない。よくないものは自然淘汰され、町はこれからどんどんとよくなっていくはずだ。

医学部浪人生母親殺人事件にみる医学部受験の闇~わたしも自宅に放火しようとしていた~

 2021年3月、滋賀で医学部浪人生が医学部入学を強いる母親を殺害したという事件についての報道があった。(※1)この事件から思い出されたのが2006年の奈良自宅放火親子殺人事件だ。(※2)医学部を目指す男子高校生が父親の不在中、自宅に放火し継母とその弟妹を死にいたらしめたという事件だ。事件が起きたのは模擬試験の結果が返ってくる日だったという。この男子高校生は以前、模擬試験の結果を実際より良く伝えたことで父親にひどく怒られたことがあった。そのため、父親に模擬試験の結果を見せるのが怖くて自宅に放火したのである。この事件が報道されたとき、わたしも同じく医学部受験を志す高校生だった。塾の授業についていけずにサボったことがバレてひどく怒鳴られたこともあり、模擬試験の結果が返ってくる日は恐怖で家なんてなくなってしまえばいいと考えていた。この事件の犯人の男子高校生は少し違えばわたしだったのかもしれない。嘘をつくなといって怒られたが、そもそも怒られる恐怖から嘘をつくことになったのだ。いきすぎた締め付けが嘘をつくことにつながるのはよくあることである。高校生であっても精神的には一人の成熟した人間であり、模擬試験の悪い結果で自分の能力が低いことが露呈して、それを長時間狭い部屋で責められるのは耐えがたい屈辱だった。父に怒鳴られて1時間以上泣いて、泣き疲れて寝ていたけれどその時間を勉強に当てた方が合格に近づいていただろう。高校生にとって逃げる場所はなく、帰るところは自宅しかない。だが自宅が安全でない以上、それを壊すしかなかったのだ。そうしないと自分の魂とかプライドのようなものが失われてしまう。この奈良の事件では父親が勉強部屋をICU(集中治療室)と呼んで絶えず監視したという。湊かなえの小説、夜行観覧車でよく似た家庭内殺人が描かれており、この中では勉強部屋を手術室と呼んでいた。特に言及されていないが、奈良の事件がこの小説の原型になっているとわたしは考えている。そして、滋賀の医学部浪人生の母親殺人事件を受けて、表だっていないだけでこうした家庭は日本に山ほどあるんだろうなと思った。それほど医学部受験の闇は深い。今追いつめられている医学部受験生がいるとしたら、試験の結果だけがあなたの価値を決めるものではないと伝えたい。そして子供に医学部受験をさせる親には、医学部受験をするのはあなたの子供という一人の人間であってあなたの分身ではないと伝えたい。この滋賀の母親を殺してしまった医学部浪人生は10年の実刑判決となった。日本は、親の子殺しの罪が軽いのに子供の親殺しの罪は重すぎる。この子が母親を殺すしかない状況だったことを考えれば、もう少し情状酌量の余地があってもよかったのではないかと思う。

※1
医学部受験で9年浪人 〝教育虐待〟の果てに… 母殺害の裁判で浮かび上がった親子の実態
https://www.47news.jp/amp/5971120.html?__twitter_impression=true

※2
奈良自宅放火親子殺人事件
http://yabusaka.moo.jp/narabosi.htm

【ネタバレあり】シン・エヴァンゲリオン劇場版:||感想

 シンエヴァ見てきました。平日昼にもかかわらず満席でした。序破Qの簡単な振り返りから始まります。前作映画のQから8年たっていろいろ忘れてたのでありがたかったです。新劇ではテレビシリーズと違ってダミープラグに入れられちゃうのがトウジじゃなくてアスカだったんですよね。それじゃあなんでアスカ生きてるんでしたっけ?やっぱり今までの記憶が曖昧です。物語としては、人類補完計画を目指すゲンドウ/冬月/ゼーレといったネルフとそれを止めようとするミサト/リツコ/アスカ/マリたちヴィレとの戦いが描かれます。シンジくんはアスカ、Qアヤナミと共にニアサードインパクト後の赤くなった日本を歩いて、トウジ、委員長、ケンスケの暮らす第3村にやってきました。ニアサードインパクトを生き残った人類が細々と暮らしているようです。シンジは中学生らしくまたウジウジしてますが、14年たてばみんな大人になっておりシンジの立ち直りを優しく待ってくれます。この村の描写が長くてエヴァじゃなくてジブリの映画を見に来てたんだっけかな?と思うくらいでした。アスカはケンスケと暮らしていたようですが、いつの間にそんなケンスケと仲良くなってた?ってくらい二人の距離は近かったです。その後、シンジは自分のやったことの落とし前をつけるためにヴィレに戻ります。そして、ヴィレとネルフは始まりの場所である南極大陸下の黒き月で戦艦戦争となります。ここでの鷺巣詞郎さんの音楽が素晴らしいです。ところで、ネルフの資金源はゼーレのようでしたがヴィレの方はどこから来てるんでしょう?謎です。ヴィレはゲンドウ側の罠にはまり、使徒化したアスカと13号機によるアディショナルインパクトが起きて、人類補完計画が始まります。そしてまた巨大綾波が登場し、大量の白い首なしマネキンが降ってきます。マネキンがすべて女性体だったのはなぜなのでしょう?エヴァのキーになるのがこの人類補完計画です。人類が個人の体を捨てて魂を融合させることで生命として新しいステージにいこうね、ということですね。みんな一緒の存在になれば、孤独も悲しみもなくなるということです。これを他人と上手く接することができなかった主人公が拒否することで「他人がいてもいいんじゃないの」という結論に至るのがエヴァです。旧劇では他人がいてもいいかなと思った矢先に気持ち悪い、と他人に拒絶されてしまったシンジくんですが、新劇では少し大人になり、父親であるゲンドウと向かいあうことが出来たことで人類補完計画を否定することになりました。ゲンドウのインナーチャイルドを知り、ゲンドウから謝罪を受けたことでシンジは父親から解放され、自分だけではなく他人のことを考えられる大人になったのです。このお約束の電車描写含めた精神世界での時間が長くて、隣の座席のお兄さんは寝てました。ミサトが艦長として犠牲になるところ、古代からの人類と神の歴史を示す石板はナディアを思い出させましたね。なんだかんだでシンジは第3村に戻るのではなく「やり直す」ことを選びます。それが表題にもついているダ・カーポなんでしょうけどそれもよくわからなかったです。月にもいっぱいカヲルくんの箱がありましたし、やっぱりループなんでしょうか?加持さんがカヲルを渚司令と呼んでいたのも謎だし、破の綾波が死んじゃってるのも謎だし、結局破とQの間の14年に何があったんだよ?という元の疑問に戻りました。ラストシーンはエヴァの呪いが解けて大人になったシンジたちが私たちが住んでいるような現代的な日本の駅から外に出ていくというものでした。第3村の様子からしてそんなに早く文明が進むわけないので、ラストシーンのシンジたちは第4の壁を超えて私たちのいる世界に来たともとらえられます。劇中劇的な描写といい、視聴者にお前もエヴァから卒業して大人になれよ、とでも言いたいのかなぁと思いました。結局、旧劇と変わらない結論だったのではないか、ということでシン・エヴァンゲリオン劇場版:||の感想を終わらせていただきます。メタ的な余談ですが、マリは庵野監督の奥様がモデルになっていること、アスカはシンジにとって前好きだった人、ということを考えるとエヴァ庵野監督による究極の自己投影作品だったのかもしれません。そうすると庵野監督のお父様がどんな方なのか気になります。宮崎駿御大が風立ちぬで自身を投影させた主人公の声優を庵野監督にさせたのも、実の息子とは出来ない親子ごっこをしてるみたいで気持ち悪いな、と思っていましたが、それに似たものを感じました。なんにせよエヴァは終わりました。全てのエヴァにとらわれていたみなさま、お疲れ様でした。

田舎が舞台のアニメが好きだけど現実の田舎は嫌い

 近年、「ゆるキャン△」や「のんのんびより」といった、田舎の風景の美しさが描かれるアニメが人気を集めており、私もそういったアニメに癒されている。コンクリートジャングルに暮らしているから、緑豊かな木々やどこまでも広がる青い空に飢えているのだろう。だが、実際の田舎はアニメのなかとは違う。


○話題が他人のうわさしかない

 田舎において人々はなぜか他人に対して異常なほど関心をもっており、会話といえばうわさ話ばかりだ。だれだれが何をしていた、何を言っていた、などどうでもいいことこの上ない話を延々としている。乗っている車種まで把握しているので、だれだれの車がいついつどこにあった、なんていうプライバシーな情報まで瞬く間に拡散される。もちろん、うわさ話が楽しいのもわかる。だが、会話の始めから終わりまで他人のうわさ話というのはおかしいのではないだろうか。特に、閉鎖的な人間関係のなかで少しでも周りと違ったところがあれば盛んにうわさする。「ゆるキャン△」においてキャラクター同士がグループ行動をするとは限らず、それぞれの心地よい距離感を保っているというのは現実の田舎ではありえない。グループの輪から外れ一人で行動するりんちゃんは孤立し、ひそひそとうわさ話をされることになるだろう。


○男女関係の話について一切デリカシーがない

 うわさ話で特に盛り上がるのが男女関係の話だ。ときに、だれだれとだれだれが合ってるんじゃないか、と火のないところに煙を立ててまでうわさする。そして田舎の人々はほぼ初対面の人に対しても平気で「彼氏/彼女はいるの?」「結婚してるの?子供は?」「てゆうか彼氏/彼女いたことあんの?」などと聞く。彼ら彼女らにとっては性的経験の有無さえ挨拶がわりに聞けるものだ。そういったことはある程度仲を深めてからする質問ではないだろうか。


○タクシーの運転手が失礼すぎる

 田舎といえば車社会であり大体の人がマイカーを持っているが、病院への通院などタクシーを必要とする場面はある。しかし都会ほどタクシーの数は多くない。競争がないためか田舎のタクシーの運転手は往々にして横柄である。敬語を使うことは当然のごとくなく、こちらに返事すらしないこともある。そして乗客から得たプライバシーな情報を他の乗客に平気でばらまく。プロフェッショナルとしての守秘義務などない。夜に短距離でタクシーを呼んだだけで、「傷モノになったら困るからね、ヘヘヘ」となどと言って、気味の悪い笑みを浮かべていた。それが高いタクシー料金を支払う乗客への態度であろうか。


○田舎の人情なんて存在しない

 田舎には都会にない情があって優しい人々がいっぱい、なんてアニメのなかにしかありえないことだ。実際の田舎の人間は、精神的に落ちこんている人間に対して冷たいものだ。うつ病といった精神病が誰にでも起きうるものであること、それを防ぐための休養やメンタルケアが重要であること、といった都会では当たり前になっている考えが田舎にはない。精神的に病み、コミュニティから抜け落ちていく人間は見てみぬふりをされるだけだ。「最近元気ないけどどうしたの?」といった働きかけはなされず、精神病により誘発されるミスやとろくささを陰で笑いものにする。こうして閉鎖的コミュニティの一定性を保とうとするのだ。


○街並みが醜悪

 田舎といっても様々ではあるだろうが、アニメのなかのような美しい田舎を現実で探すのは難しいだろう。コンクリートの車道脇に狭い田畑が広がるなか、プレハブのような安っぽい建物がポっとある。そういった変わりばえのしない道路をしばらくいけば、カラオケやボーリング、ファミリーレストランといった大型の遊興施設が集まる通りにでる。そこが町で唯一の遊ぶ場所なのだ。クリーニング店の看板はピンクや青、黄色といった原色の組み合わせで醜悪極まりない。車からみて目立つことしか考えられておらず、そこに景観の美しさといった概念はない。


○アニメのなかのファンタジーな田舎が好き

 現実の田舎は嫌いだけど、アニメのなかの田舎は美しい。「星空へ架かる橋」のように美少女たちと川遊びするのもいいし、「ヨスガノソラ」のように田舎の独特な閉塞感のなかで追い詰められていく人間関係もいい。「ひぐらしのなく頃に」のように田舎の謎の風習で幼女が崇められてるのもいい。ヒロインが神社の巫女さんだったり、主人公が地主の息子でなまり言葉を話すのにも萌える。どうしてアニメのなかの田舎は現実と違ってロマンであふれているのだろう?それは私と同じように現実の田舎に絶望した人たちが、自分の田舎への理想を詰め込んでいるからなのかもしれない。

アニメ:ストライクウィッチーズにおける美少女アニメの違和感を説明するリアリティ

 ストライクウィッチーズ島田フミカネ氏のイラストコラムがもとになったメディアミックス作品であり、1期アニメが2008年放送でその後も2期、劇場版、OVAブレイブウィッチーズ(スピンオフ)と制作されているかなり息の長いコンテンツです。3期が2020年秋アニメとして放送されましたが、1期の頃から変わらない魅力的なキャラクター、王道で燃えるストーリーでした。いわゆる美少女+ミリタリーものの先駆けと言える作品でもあり、実在の第二次大戦時代の軍人がモデルとなった美少女たちが、ネウロイという謎の敵と戦うというストーリーとなっています。銃や戦艦といったミリタリー描写の細かさも長期シリーズの人気を支えています。



○なぜ少女が戦うのか


 日本のアニメーションにおいて主人公たちが少年少女であることは多いですが、「なぜ大人ではなく少女が世界の危機と命をかけて戦わなければいけないのか」という疑問を持つ人もいるかと思われます。これに対してストライクウィッチーズでは、ウィッチの魔法力が10代の少女のみに現れるものだから、ということになっています。主人公の宮藤の祖母など一部例外はありますが、基本的にウィッチの魔法力は20歳あたりで失われ、引退したり、後方の司令官や教官といった普通の軍人になることになります。宮藤を導いてきた坂本少佐もこの魔法力の低下と前線で戦いたいという気持ちの間で悩むことになります。ウィッチとしての人生は数年と儚い命なのです。終わりがあるからこそ、ウィッチの強さも気高さも美しく描かれています。



○なぜ年頃の少女が恋愛をしないのか


 ストライクウィッチーズの世界ではウィッチがアイドル的な人気をもつこともあります。軍隊という男所帯でウィッチが恋愛をすることはないのでしょうか。男性がメインターゲットの美少女アニメだから男と恋愛なんてさせないのだろうと考える人もいるかと思いますが、ストライクウィッチーズでは「ウィッチは男性と関係を持つと魔法力を消失するから恋愛はできない」ということになっています。そもそもウィッチたちが10代の少女であるにも関わらず軍曹や少佐という階級を持っているのは、上官という立場を持つことで若い兵士の恋愛対象になることを避けるためなのです。1期にはそれを基にしたエピソードもあり、ウィッチであるにも関わらず恋に落ちて苦しむミーナ中佐が描かれています。ちなみにもちろん、ミーナ中佐はおでこにチューする程度の関係しか持たなかったため魔法力を失ってはいません。ミーナ中佐は宮藤が男性兵士といい雰囲気になったところを、宮藤が自分と同じような苦しみに合ないようにするために邪魔します。これは個人的な事情で宮藤に干渉して勝手だともとられるかもしれませんが、そもそもウィッチは恋愛禁止なのです。そして軍隊である以上、命令には従わなければなりません。



○少女同士の擬似恋愛的な関係は終わらないのか


 こうして女子校状態となっている統合戦闘航空団では、ウィッチたちは生活を共にする家族であり、戦場における仲間であり、失われた同じ祖国を思う友達であり、上官であり後輩でもあります。激しい戦いや温かい日常を通してウィッチたちは深い関係性を築いていくのですが、そのなかには少女同士が恋愛のような感情を抱くこともあるようです。エイラとサーニャ、トゥルーデとエーリカあたりが特に顕著で明らかに頬を赤くしたり、嫉妬したりしています。美少女アニメにおいて「なぜ女の子同士が恋愛のような関係になるのか」という違和感を感じてしまう作品も多いかと思うのですが、ストライクウィッチーズでは前述のウィッチの特殊な環境により、少女同士が強い愛情を持つことが自然に描かれています。例えば2期においては、坂本美緒は魔法力の消失で使命が果たせなくなることに苦しむのですが、後輩である宮藤が成長して自分の意思を継いでくれることで、上官としての誇りと後輩の宮藤への愛を感じるのです。ウィッチとしての短い時間が終わって大人になれば、男性と普通の恋愛をして結婚するのかもしれません。それでも確かに、少女たちは恋愛的な関係を結んでいた時間があったのです。



○「わたしにできること」をしてみんなを守る


 ウィッチたちは固有魔法を持っており、それがキャラ付けやストーリーの要になっています。宮藤の固有魔法は治癒とシールドであり、主人公としては地味にも思えます。(最終回付近の盛り上がりでは魔法力を炸裂させてとてつもなく大きいシールドで攻撃するようにはなります)宮藤の治癒とシールドはみんなを守りたいという気持ちを象徴するものです。ウィッチ同士の深い関係性が描かれたからこそ、みんなを守りたいという宮藤たちに共感し、応援したくなるのです。ストライクウィッチーズはパンツがズボンだったり、魔法力を使うとケモ耳が生えたりと男性向けの色物アニメと見られがちですが、美少女アニメにおける非現実性への違和感を感じさせないような、リアリティを持っている作品だと思います。ところで彼女たちが戦っているネウロイとは何なのでしょうか。1期で登場したネウ娘はなんだったのでしょうか。501統合戦隊は今後どうなるのでしょうか。今後も次のシリーズが制作され長く愛される作品であることを願っています。